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- 初島の歴史
約7,000年前の太古から人々が住んできた初島。
島内には縄文時代早期後葉(7,000年前)からの遺跡が全域にわたって点在しています。
遺跡からの出土品である黒曜石の産地は、伊豆半島はもちろん90km離れた神津島や長野県霧が峰まで幅広いエリアに渡っており、太古の昔より人々が遥かなる海を越えて交流してきたことが分かります。
孝昭帝の御代に島に漂着した初木姫の伝説が残る初木神社の本殿下に、古墳時代(3世紀中葉~6世紀末葉)の磐座(いわくら・神が降り立つ場所で古代の祭祀場)の遺構があることが確認されています。
初木神社では毎年7月17日、18日に例大祭で鹿島踊りが奉納され、古墳時代から現代まで脈々と続く島の人々の霊場となっています。
古くから初木神社の神主を兼ねていた網代(熱海市南部)の阿治古神社の高杉家には、鎌倉時代のものと思われる初木神社の御正体の懸仏(かけぶつ)が遺されており、少なくとも鎌倉時代には初木神社が存在していたと推定されています。
また初木神社には観応2年(1351年・南北朝時代)在銘の改築に関する棟札があり、
当時18戸の家があった事が記録に残っています。
江戸時代に入り、江戸城修築の為に島内の東海岸から石が切り出されたという記録が残っており、今でも海岸ではそのとき切り残された石を目にすることができます。
江戸期を通じ初島は天領(幕府直轄領)から小田原藩領、そしてまた天領と時代は変わりましたがほぼ40世帯前後で守られてきており、天保元年(1830年江戸末期)の記録にも41世帯とあり、その世帯数は明治・大正・昭和を経て平成の現代まで変わりませんでした。
それは島内の耕作地や水源が限られていることから、次男以下は島を出て、男子がいない場合は女子が婿をとって跡を継ぐという不文律が脈々と守られてきた為です。
耕地や漁は共同作業で行われ、島の実りや漁獲はほぼ等分されて来ました。